我が校の文化祭が中止の危機です。
理由
→なにものかが先生たちの車におにぎりらしき米の集合体をたたき付けた
意味がわからない(^p^)
ほんとうに生徒がやったのかという点において誰にもはっきりさせることのできない状況下で、
全生徒の文化祭が中止になる。
しかも理由が「先生の車におにぎりがたたき付けられたから」
これで被害者が来校車や生徒、先生たち本人だっていうならもう文化祭は中止にすべきだと思うけど、「車」
そのうえ犯人探しをはじめて。
それが生徒なのかの確証はゼロ。
こんなに私たちを侮辱してることって他にある?
こんなのは一部の教師がその実権を握って生徒から自主性を取り上げる専制的な体制にほかならないじゃないか。
本当に自立実践を掲げるなら、ここで教師が下す正しい判断は生徒にこの問題を委ねることではないんですか?
今もし犯人がいるならいたとして、こんなに教師たちが実権を握って血祭りにでもあげようかという状況で、誰が出てこようと思いますか。
生徒は犯人が名乗り出ることを望んでいないです。誰がやったかなんてしりたくもありません。これだけおいつめられて犯人が反省を少しもしていないなどと思えません。
それよりもただ、文化祭がしたいだけです。
それを取り上げる権利が誰にありますか?その権利が、一部の教師の独断に任されてある、その現状の方に腹が立ちます。
私は文化祭に出ません。その私ですらこれを理不尽と感じます。
それがこの何ヶ月間、文化祭にただひたすらにひた走ってきた各部の生徒たちなら、私など比べものにならないほどだと思います。去年私は文化祭に必死でした。クラスの展示に部活の発表二つ、鬱になるほど必死でした。だからわかります。
もしこの事件が去年起きたことだったら、私はもっともっとおおっぴらにぶちギレていたと思います。朝会で声をあげてぶちギレるくらい平気でしたと思います(←)
教師はこの訴えさえも、犯人を追い詰めるための材料にします。それで追い詰められた犯人が出てくればいいと思っています。信じられますか。
「犯人」のために「生徒の想い」を利用するんです。すでに生徒は犠牲者なのに、さらにその犠牲を利用するのです。
今日生徒会長と文化祭実行委員が話をしました。悲痛な訴えでした。
教師達はまるで犠牲者は自分達であるように話します。生徒が自分たちの信用を裏切ったからだと。
けれど今日話しをした生徒会長、文化祭実行委員が、だれの期待を裏切りましたか。ただ必死でやっていたはずです。今まで努力してきた部活の誰が、その期待を裏切りましたか。ただただ必死だったはずです。
彼女たちもまた犠牲者のはずです。どう考えても、犠牲者としかいえません。
その犠牲を利用する、教師たちの方が、よほど加害者であると私には思えます。
いい加減にしてくださいと訴えたい。
最後の文化祭をこんな形で迎えることが悲しいです。
犯人が見つかろうが見つかるまいが、本当は生徒ではなかろうが、私は先生たちに頭を下げてほしい。こんな風に生徒の気持ちを利用したことを。けれど絶対にそれはおこりえないだろうから、私はもうここを誇って卒業することはできないのです。
大好きな友達たちに会えたから、はいらなければ良かったとは言いません。
それでも赦せないという想いだけはずっと残ると思います。
それだけは、ここに残しておきたいと思います。
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